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習慣と普通
習慣と普通
こんにちは。車検で代車の車種がかわり運転に四苦八苦している伊藤です。
駐車やバックでギアを変える際、一度は左手が空を切ります。
さて、コロナ禍での公立高校入試も終わり、後は発表を待つばかり。
私立の試験が中止になったり、直前に感染者がでて学校が休校になったり
自身の努力ではどうにもできないことに振り回されてしまった入試だったかと思います。
しかし、人生、自身でどうにもできないことが多いのも常。
これも経験として、とにかく悔いの残らないようにできたことを願うばかりです。
話は変わって、習慣と普通についての話。
生徒と話していて「どうやってこの答だしたの?」と聞くと
「普通にやった」と返されることがしばしばあります。
普通ってなんだ???
「先生の普通と、君の普通は多分違うから、そこを説明してほしい」
というと困ってしまう生徒がほとんどです。
『常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。』
あまりにも有名なアインシュタインの言葉ですね。
便利な言葉なので、私もよく「普通に~」や「常識で~」と言ってしまうんですが
大人になってから「普通だと思っていたら普通じゃなかった!」ということはよくあります。
就職した業界ごとに「常識」さまざま。
それを「良い・悪い」でくくることはできないし、必要もありません。
「普通」でくくらずに客観視できる習慣をつけておくと
将来きっと役に立ちます。
ここで、冒頭の話に少し戻ると…
車の運転をしない子供たちにはわかりづらいたとえではありますが
私にとっての車の「普通」は「座席の左側にシフトレバーとサイドブレーキ」
しかし、最近の車は座席を広く取るため「左前にシフトレバー、足元にサイドブレーキ」。
頭では…頭ではわかっているんです…。
これが代車だということも、シフトレバーの位置がちがうことも。
なのにやってしまった後に「そうだった」と気づく。
似たようなことが勉強でも起きていませんか??
「これ、一回間違えて気を付けようと思ってたのにテストでやってしまった」
もうこれは、その人の中でその間違い自体が「習慣」「普通」になりつつあります。
これを矯正するのは本当に大変。
でも本人の中では「分かってたはずの問題だからこれはケアレスミス」という認識になりがち。
「わかってるはずなのに間違えた」は「まったくわからない」よりもずっとずっと深刻ですよ!
実際に得点できるようになるまで何度も何度も解き直しましょう。
小・中・高生はまだまだ若いので
私ほど「普通」や「習慣」が凝り固まってはいないはず!
きっちりと自分の中での「普通」になってしまっていることと向き合いましょう。
…と、通勤時に日々思う、伊藤でした。
(そして慣れたころに、自分の車が戻ってきて、またしばらく左手が空を切る生活…)
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2021.03.08